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こまみとメガネの10年日記

うつや特性などいろいろありすぎな夫婦のこれまでと、これから。

ADHDを知ったとき!

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ADHD」という言葉が世間に知られるようになったきっかけって、

「片付けられない女たち」という本が発端でしたよね。


でも、私片付けられないからADHDかも!

いや、片付けられない=ADHDってわけじゃないよ〜

え〜じゃぁADHDかはわかんないけど片付けられない〜。


みたいな無駄なループが多くて、

ADHDってなんなの?

みたいな概念が今ほど周知されるのはもう少し遅かったような気がします。


しかも、

片付けられない理由はADHDだったんだね(優しい目)

 

みたいな方向には行かず、

え。片付けられない女ってADHDなの?やばーい、病気?

みたいな空気になってしまったので、

どの道、当人にとっても周囲にとっても、

片付けられない女=ADHDという概念は

あまりプラスにはならなかったのかな(残念

みたいな感じでした、当時。


でも、本当に着目しなければならいところは、

“当人がいかに困っているか?”

なんだと思うんです。

ADHDであろうとなかろうと、

片付けられないことに、困っている場合、

なんかしらの改善策が必要で、

その改善策によって本人が何か重いものを下ろせたというような、

軽くなる状態になる可能性のために、

ADHDから片付けられない事実が発生しているかもしれないという角度からも見てみる。

というのが、発達障害の本来の目的であると思います。


もしかしたら、

片付けられない女の作者さんも、

そういう意図で!?

あの本を書かれたのかもしれないなぁと、

今になって思います。


いかに、本人が困らないか。

そのことを、

本人だけではなく、周囲が、

お互いに相互的に相手の困らないようにを考えてあげられる。


そんな社会になったらいいなぁと、

思っています。


ちなみに「片付けられない女たち」は、

読んでませんww

多分、

そうそうそう!と頷いて終わる予感がするので。


 

片づけられない女たち

片づけられない女たち